五番御引直衣立像 高さ48cm
十二世面庄作練頭 六世大木平蔵作
男雛着用の御引直衣(オヒキノウシ)は、平安時代にはそもそも天皇の普段着で、そのため纓(エイ)を巾子(コジ)に添って折り畳み、金箔を押した厚紙で留めてあります。これを御金巾子(オキンコジ)といいます。
皇后(女雛)も普段着で、髪型も略式です。
五番袿立像 高さ45cm
普段着の天皇でありますから、皇后の装束も簡易に袿・打衣・単にして、髪型も略式です。天皇の白小葵文の布地に比べ袿の布地(朱小葵文に浮線陵)に質の不足があっても、六世夫人のたっぷりとした仕立てに補われ、お気に入りの一品となりました。この立像の着付けには、随所に六世ならではの特徴が残されていて、ある意味いい加減かと思われるほど細部にこだわらないざっぱりした着付けなのですが、袴などとりわけ流れが自然で、決して品位を失わない大らかさはさすがと言うべきかと思います。
四番享保雛 高さ40cm
二世川瀬猪山練頭 六世大木平蔵作 頭昭和44年頃作
頭は、二世猪山が大阪万博の際に吉川観方所蔵の享保雛頭を復元した時の型による練頭で、写実を踏まえた美しい輪郭が額の線等に如実に見る事が出来ます。純金糸の錦による装束や、五色に重ねた襟でも下品に流れず、端正な仕上がりです。天冠(テンガン)は手打ち・手彫りの贅沢なものですが、丸平さんにはこんな小道具でも五世時代の残りがいくつもあったため、惜しげもなく使っていたのです。面白いのは女雛の袴で、正面は縮緬(チリメン)を使いながら、後半身は羽二重なのです。いかにも昔の京都らしく、“しまつ”を目的にしてのこととか、今でも慣習としてその通りに制作しているとのお話でした。
六番古今雛(次郎左衛門雛) 高さ37cm
二世川瀬猪山練頭 六世大木平蔵作 頭昭和30年代作
男雛の袍は享保雛と同じ金襴です。もっともこれと同じ色柄である戦前の生地といったら、それこそほれぼれするような織物だったとか。女雛の金襴はこの雛にしか使われないため、延々と残り続けるそうです。女雛の袴は縮緬。頭は二世猪山による練頭で、耳の書き方に至るまで次郎左衛門雛の様式に則った名品です。唇など朱でぽつんと点で押されているように見えても、よく見ると上唇も下唇もその形が描かれているのです。このように何気なく苦労無しに描かれて見えるのが名人芸というものでしょう。