二番親王尺三寸二十六人揃

丸平七世大木平蔵作 頭1890~1929年頃作
丸平大木人形店に残されていた十一世面庄(メンショウ・明治33年没)と十二世面庄(昭和20年没)の練頭によって制作したものです。練頭(ネリガシラ)とは、桐のおが屑を糊で錬り、それを型抜きしてガラス眼を置いた上から胡粉塗りした後に眼を切り出し、眉やまつ毛を描き、紅を注して仕上げる伝統的な工法での頭をいいます。面倒な手間の繰り返しでやっと出来上がる頭ですが、年を経るほど塗り重ねた胡粉の白が乳白色に落ち着いて独特の艶が現れ、得も言われぬ美しさが熟成されるのです。しかし、エアコンの風に割れてしまうなど現代の住環境に合わず販売に適しませんから、残念ながら廃れてその技術の後継者も絶えようとしています。面庄頭は一工 程毎に良くなるとの言葉通り、頭だけより結髪してからの方が、それより胴に据えた方がと、どんどん映えました。雛頭や胴体の大きさは、男雛女雛の場合だと五番、七番、九番・・・というような呼び方をしますが、数字が大きくなるほど小さくなるのです。官女など“下者”と呼ばれる人形は、六寸、七寸といった呼び方をしますが、丸平さんでは立たせた時に足下から額までの寸法を定めていて、尺三寸(額まで39cm)用の頭と五番頭がほぼ同じサイズのようです。尚、そうした寸法の呼び名があっても、頭師によって若干の大小があるもので、十二世面庄が最も小さいようです。
尚、下の画像は最初に出来た十九人揃のものですので、その後五人増えた現在とは様々な違いがあります。段飾りした全貌を御目にかけたいと願うのですが、何せ雛段自体が十畳近いサイズを必要とする大きさですので、なかなか望みが叶いません。

二番親王尺三寸二十六人揃
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二番親王立像

十一世面庄練頭 丸平七世大木平蔵作 頭1890年頃
丸平さんに残る五世時代の写真帖に、二番親王と官女、五人囃子の豪華な組物があり、その寸法帖に鉛筆で「満州皇帝」と書き込みがあったので、これこそ戦前鮎川儀介(アイカワヨシスケ)が高島屋を通して丸平に制作を依頼したという伝説の満州皇帝献上雛と信じて復元を試みた立像でした。しかし完成後、思いがけない出会いにより、写真帖の雛組物は、満州皇帝献上雛とは全く別物と判明。その後、「高島屋史」に残された献上雛の写真を見るともっと小ぶりで、丸平本来の水準からしたら凝った仕立てというほどの雛ではありませんでした。これは脱ぎ着せという着脱自在丸平最高の仕立てです。

二番親王立像
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二番脱ぎ着せ男雛立像 高さ80cm

この男雛は天皇仕立てですので、黄櫨染(コウロゼン)の御袍(ゴホウ)に身を包みます。下襲(シタガサネ)は白小葵文(シロコアオイモン)に、裏は黒遠菱文(トオビシモン)。その裾(シリ,キョ)を三尺五寸程引きます。袙(アコメ)は、赤小葵文で、裏は赤平絹。単(ヒトエ)は朱繁菱文(シゲビシモン)。表袴(ウエノハカマ)に赤大口(アカオオクチ)、襪(シトウズ)の仕立ては本物通り。茵(シトネ)は、四方に菊の刺繍です。本来、茵の上に立つという事はないのでしょうが、自力で立てない男雛ですから、そのため足を打ち付ける台として茵の必要があるのです。戦前は、男雛の足を太く大きく仕立てて鉛を流し入れ、その重みで立つようにした造りもあったそうです。尚、石帯の象牙板は、一枚ずつその文様を糸鋸で切り抜いたものです。

二番脱ぎ着せ男雛立像
二番脱ぎ着せ男雛立像
二番脱ぎ着せ男雛立像
二番脱ぎ着せ男雛立像
二番脱ぎ着せ男雛立像
二番脱ぎ着せ男雛立像
二番脱ぎ着せ男雛立像
二番脱ぎ着せ男雛立像
二番脱ぎ着せ男雛立像
二番脱ぎ着せ男雛立像
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二番脱ぎ着せ女雛立像 高さ65cm

唐衣(カラギヌ)が紫亀甲文に浮線陵(フセンリョウ)の二陪織物(フタエオリモノ)。表衣(ウエノキヌ)は薄萌黄三重襷(ウスモエギミエダスキ)文に赤鳳凰丸の二陪織物。五衣(イツツギヌ)は雲立涌文(クモタテワクモン)の紅梅の匂(ニオイ)。打衣(ウチギヌ)は、濃紫の繁菱文(シゲビシモン)。単は、赤幸菱文(アカサイワイビシモン)です。尚、唐衣の織物はこの雛のために手織りされたものです。袴は勿論裏地を付けた仕立て。檜扇(ヒオウギ)は昭憲皇太后の物を模写、端の花は松に紅梅白梅。櫛は純金泥に松竹梅、絵元結には菊をそれぞれ岩絵の具で描きました。自分の着付けたものを褒めた試しのない丸平さんですが、珍しくこの女雛だけは自分が着付けたとは思えないほどだと言われ、こんな自然な流れに出来上がったのは奥さんの仕立自体が良いからだとも話されました。私も、この女雛は七世の代表作ではないかと思っているのです。

二番脱ぎ着せ女雛立像
二番脱ぎ着せ女雛立像
二番脱ぎ着せ女雛立像
二番脱ぎ着せ女雛立像
二番脱ぎ着せ女雛立像
二番脱ぎ着せ女雛立像
二番脱ぎ着せ女雛立像
二番脱ぎ着せ女雛立像
二番脱ぎ着せ女雛立像
二番脱ぎ着せ女雛立像
二番脱ぎ着せ女雛立像
二番脱ぎ着せ女雛立像
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尺三寸下者二十二人

十二世面庄練頭 七世大木平蔵作 頭明治期~1929年頃作
尺三寸とは立って額までの寸法を言います。丸平さんといえどさすがに十二世面庄(昭和20年没)の下者雛頭は残されて居ませんでしたから、親王が出来ても例えば十五人揃が出来るなど考えもしなかったのです。ところがある時、丸平さんに残る夥しい量の五月人形用面庄頭を調べるうち、神功皇后等の頭で官女や楽人、大将頭で随臣、雑兵頭で仕丁を仕立てれば、辛うじて一組だけ下者の頭が揃う事に気付き、丸平二百数十年の歴史を記念する制作を提案したのです。尚、手足は全て私の木彫りです。

おぼこ七寸居稚児 高さ30cm

おぼこ親王用の十二世面庄頭で、少し離れて見ると瞳の位置が定かになるのです。手に持つのは中啓扇(チュウケイオウギ)。二番親王用の居稚児ならばもう一回り大きくても良いのですが、そんな面庄頭は残っていませんでした。刺繍は桜橘の丸。袴の中にはもちろん足があり、足袋を履いて正座しています。

おぼこ七寸居稚児
おぼこ七寸居稚児
おぼこ七寸居稚児
おぼこ七寸居稚児
おぼこ七寸居稚児
おぼこ七寸居稚児
おぼこ七寸居稚児
おぼこ七寸居稚児
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尺三寸刺繍官女 高さ33cm

最上段手前に並ぶ銚子を持った刺繍官女の頭は、恐らく明治期の雛頭と、昭和初期に作られた浮世人形の頭(薄い肉色)かと思います。内裏雛が天皇仕立のため婚礼という設定はあり得ず、銚子など必要がないのですが、そもそもこの二人は五節句の官女に含まれていたものでした。後に美しい昔の面差しの十一世面庄雛頭が出たのを機に、五節句の官女を皆袿単で仕立てたい願望が消しきれず袿単官女を追加したため、苦し紛れで銚子を持たせ親王の前に置いたのです。ただ、銚子を持たせるポーズに自分の理想型がありましたから、それを叶えたのでもありました。従ってこの振り付けは私のしたことです。
地紋に施した刺繍は京都の呉服刺繍で、加えの銚子を持った官女には金糸を、長柄銚子の官女には銀糸を使ってあります。尚、銚子は自作ですが、実際にはあり得ない事でしょうけれど、純金泥で塗った銚子の表面に松を描き、銚子飾りの梅と竹と合わせて松竹梅にしてあります。

尺三寸刺繍官女
尺三寸刺繍官女
尺三寸刺繍官女
尺三寸刺繍官女
尺三寸刺繍官女
尺三寸刺繍官女
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尺三寸五人官女 高さ33cm

頭は、十二世面庄神功皇后(ジングウコウゴウ)頭を三つと、恐らく十一世面庄の女雛頭二つを使っています。
並びは左端に重陽の官女で、濃青櫻立涌文に菊丸文の袿。絵元結は松に満月。その右は端午の官女で、橙亀甲文に浮線陵文の袿。絵元結は飾り粽。中央が人日の官女で、紫雲立涌に松喰向鶴文の袿。絵元結は遠山に雪。その右隣が上巳の官女で、紅梅三重襷に牡丹丸文の袿。絵元結は犬筥。一番右端が七夕の官女で、秘色(ヒソク)小葵文に浮線陵文の袿。絵元結は短冊の仕様です。打衣は、全て紫繁菱文。単は幸菱文です。尚、袴の中には勿論足袋を履いた足があります。
画像の最初は、それぞれに三宝を持たせ、人数を活かして五節句を表す有職造花、即ち人日→根引き松、上巳→菱餅に桃花一枝、端午→飾り粽、七夕→梶の葉に五色糸、重陽→茱萸嚢を載せてあるのです。
しかし、私にはどうもそれが物足らず、官女の身長を140cmに設定した比率から、実物の3分1の五節句飾りを作って持たせたのが後の画像です。

人日

尺三寸官女(人日)
尺三寸官女(人日)
尺三寸官女(人日)
尺三寸官女(人日)
尺三寸官女(人日)
尺三寸官女(人日)
尺三寸官女(人日)
尺三寸官女(人日)

上巳

尺三寸官女(上巳)
尺三寸官女(上巳)
尺三寸官女(上巳)
尺三寸官女(上巳)
尺三寸官女(上巳)
尺三寸官女(上巳)
尺三寸官女(上巳)
尺三寸官女(上巳)

端午

尺三寸官女(端午)
尺三寸官女(端午)
尺三寸官女(端午)
尺三寸官女(端午)
尺三寸官女(端午)
尺三寸官女(端午)
尺三寸官女(端午)
尺三寸官女(端午)

七夕

尺三寸官女(七夕)
尺三寸官女(七夕)
尺三寸官女(七夕)
尺三寸官女(七夕)
尺三寸官女(七夕)
尺三寸官女(七夕)
尺三寸官女(七夕)
尺三寸官女(七夕)

重陽

尺三寸官女(重陽)
尺三寸官女(重陽)
尺三寸官女(重陽)
尺三寸官女(重陽)
尺三寸官女(重陽)
尺三寸官女(重陽)
尺三寸官女(重陽)
尺三寸官女(重陽)
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尺三寸七人楽人 高さ36cm

丸平さんでは鞨鼓(カッコ)を中年に仕立てますので、武内宿彌(タケノウチノスクネ)の面庄頭を私が改作しました。楽太鼓の頭は、以前四位随臣に使っていた大将頭の改作で、その大将頭から髯と眉を削り取った時、この頭が龍笛と篳篥に使った明治期の頭と同じ頭師の手によるものだと気付いたのです。
楽器のうち、篳篥と龍笛以外は京都木地師村山伸一さんの作。寸法は頭との比例で出した実物の縮尺で、和琴(ワゴン)は一尺八寸あります。楽器の絵付けと木彫りの烏帽子は私の作です。
装束は、狩衣(カリギヌ)が濃萌黄雲立涌文に木瓜(モッコウ)文二陪織物。単は朱繁菱文。内着は白小葵文です。指貫(サシヌキ)は薄藤紫雲立涌文と、篳篥・龍笛のみ紫地に八藤丸文(ヤツフジマルモン)です。

和琴

和琴
和琴
和琴
和琴

琵琶

琵琶
琵琶
琵琶
琵琶

篳篥

篳篥
篳篥
篳篥
篳篥

鞨鼓

鞨鼓
鞨鼓
鞨鼓

龍笛

龍笛
龍笛
龍笛
龍笛

笙
笙
笙
笙

楽太鼓

楽太鼓
楽太鼓
楽太鼓
楽太鼓
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尺三寸随臣 高さ36cm

面庄作の大将頭と武内宿彌の頭を使い、闕腋袍(ケッテキノホウ)の無輪唐草文(ワナシカラクサモン)生地は文様サイズのため新たに織りました。腰からはみ出て見える黒紗の装束を丸平さんでは腰衣(コシゴロモ)と呼んでいますが、忘れ緒こそなくとも両脇に取った細かい襞からして半臂(ハンピ)の変形でしょう。やなぐいや魚袋の金具は別注で作りましたが、こうした目立たない小道具をしっかり仕立てると、全体の風格が違ってくるものなのです。敷皮は本物の鹿皮です。

三位

尺三寸随臣
尺三寸随臣
尺三寸随臣
尺三寸随臣
尺三寸随臣

四位

尺三寸随臣
尺三寸随臣
尺三寸随臣
尺三寸随臣
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尺二寸直衣 高さ36cm

随臣を三人にしたくて作ったものでした。丸平さんが狩衣に使える古い生地を探してみたら、明治期に織った白雲立涌文紫浮線陵がありました。素晴らしい生地ながら残りが少なかったので、その写しを織りに出したらオリジナルに遜色ない織り上がりで、この直衣に使ったのです。指貫は薄萌黄薄小葵文に浮線陵丸紋です。頭はもちろん面庄作ですが、口元を少し膨らませていることから笛を吹く牛若丸の頭だったようです。被り物は立烏帽子(タテエボシ)。直衣では本来襪(シトウズ)を履くことが許されませんので素足なのですが、少し赤みを刺して寒気のようなものを表してあります。手に持つ和本は、佐竹本三十六歌仙の写しです。

尺二寸直衣
尺二寸直衣
尺二寸直衣
尺二寸直衣
尺二寸直衣
尺二寸直衣
尺二寸直衣
尺二寸直衣
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姨捨 高さ30cm

二番親王立像の組物は最初十九人揃だったのですが、丸平さんから十二世面庄作の優れた頭が新たに見つかったりで、官女四体、直衣一体、五節舞姫一体の六体が増えたのです。
あくまでも五段飾りの設定ですので、すると四段目が随臣二体に直衣一体、五節舞姫一体の四人となり、人数の釣り合いからももう一人を加えたくていました。
何が加わるに相応しいかと散々考えて、老若の随臣に直衣の若人ということから、五節舞姫と対照的な老女を置けば人生哲学めいた思わせぶりも叶う段になろうと考えついたのです。
制作はもちろん七世丸平さんですから、若い頃から能を見続けて来られた七世さんこその人形を遺したい意図からも、能の老女物ほどドンピシャのものは無く、装束の関係からも難曲といわれる『姨捨』に決めたのです。
ちょうど十二世面庄の武内宿彌頭で、何度胡粉を塗り直しても割れてしまうため、胡粉を削り落として硝子眼を露わにした桐塑頭が手許にありましたので、それを素地に宝来作の老女面をモデルに老女の頭を自作。手を彫り、白髪を植え、老女扇も仕立てての依頼でしたが、丸平さんは長絹に古い絽を用い、色彩を押さえた理想的な仕様で応えて下さいました。
長絹の文様は、金泥とプラチナ泥で描かれた露柴。ポーズは『姨捨』一番の見せ場という、水平に持つ扇を右から左に移動させて後、皎々と輝く月を仰ぎ見るとの場面なのですが、五人囃子に顕著な『動作の直前』を振り付ける七世さんの特徴を鑑み、扇を移し始めようとする瞬間に設定したのです。
襦袢は二枚で裏地付き。袴の中で立て膝する足には、もちろん足袋を履かせてあります。

姨捨
姨捨
姨捨
姨捨
姨捨
姨捨
姨捨
姨捨
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尺三寸五節舞姫

装束は、昭和天皇の即位の礼で踊られた時の装束に準じ、唐衣・表衣(中陪なし)・単・裳・袴のみです。
袿を丸平さんで五節舞姫を仕立てる時と同じに、明るい黄緑に若草文様を黄色で織りだした生地にしたかったため、色の対比から唐衣には、丸平さんに残されていた濃い小豆色に小さな花の丸という生地を使ったのです。
しかし、明治時代に織られたものではないかと思われるほどに古く、また地味な生地でもあったため若干の懸念がありましたが、袿に織り出された若草文様が金色に輝いて見えるなど、組み合わせての相乗効果も生まれて、思いがけないほど美しく相応しく仕上ったのです。
裳は、昭和の大典で踊られた五節舞姫が着用していた物と同じ雲文様を岩絵の具で描き、心葉は湯沢さんという金工師の方のご厚意で出来た真鍮に金鍍金製です。
檜扇は女性用の39橋に拘りましたので、手に翳させる厚さの問題から、橋数の紙を貼り合わせて作った本体に彩色してありますので、開閉は出来ません。また、五節舞姫用の常とは違うのですが、糸花は桃と柳にして華やかに仕立てました。
絵元結は、現在皇族が用いる物と同じように、松を連ねて描いてあります。
丸平さんでは、昭和の大典の際にも五節舞姫を作っておられましたし、七世さんも九寸のを何体か作られましたが、尺三寸という大きさに加え、舞姫が座っているというのが七世さんには考え難い設定で、制作にあたり何よりもそこに戸惑われたようです。
言うまでもなく五節舞は五人で踊られますが、その五人に何らかのトラブルがあった場合に備え、二人の控えが選出されて待機したのだそうですから、この座った五節舞姫は、出番を迎えられずに控えているという設定でも構わないし、単に出を待つ五人のうちの一人というのでも構わないのです。

尺三寸五節舞姫
尺三寸五節舞姫
尺三寸五節舞姫
尺三寸五節舞姫
尺三寸五節舞姫
尺三寸五節舞姫
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尺三寸三人仕丁 高さ33cm

夥しい雑兵の頭から、泣・怒・笑の表情に近いものを探して使いました。通常は、贅沢な肴やらを添えるのですが、最初はリアリティのためにあえて最低限の料理などにしてあったのです。しかし、だんだん小道具作りの面白さから、蒸かし芋を加えたり、寿司を加えたり、事もあろうに大八車まで加えて遊んでしまいました。そもそも仕丁というのは時代が曖昧で、御所の生活をしていながら丁髷を結っているのですし、この段だけは有職故実とは無縁に勝手な設定です。実はこの仕丁、物語仕立てにしてあります。陽気な仕丁がチャボを運ぶ途中に庭の酒宴に呼び止められ、いい気に酒を呑んでいるうちチャボが逃げ出した…という設定。チャボは木彫り彩色の自作です。袖の二引(ニビキ)は、金糸刺繍です。

笑上戸

尺三寸仕丁(笑上戸)
尺三寸仕丁(笑上戸)
尺三寸仕丁(笑上戸)

怒上戸

尺三寸仕丁(怒上戸)
尺三寸仕丁(怒上戸)
尺三寸仕丁(怒上戸)
尺三寸仕丁(怒上戸)

泣上戸

尺三寸仕丁(泣上戸)
尺三寸仕丁(泣上戸)
尺三寸仕丁(泣上戸)

鶏籠・宴会用具

鶏籠・宴会用具
鶏籠・宴会用具
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